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コメント

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ささやん

志塾四期生・ささやんです。

読ませていただきました。
さすが稲田さんですね。
そして、稲田さんらしい個性も十分感じました。

一番の問題はやはり日本が事実上、
アメリカの植民地と化していることだと思います。

まず日本人としての精神を自立させ、
それから目に見えるものを自立していく。
そのための方策として軍事をどうするか、ということだと思います。
「平和」というものをどう捉えるかで、決まってくるはずです。
現実か、理想か・・・。

今年もできる限り田舎から出て、
「人」に会って話を聞き、
勉学に励みながら、
自分のような者でもできることを探していきたいと思います。

論文、非常に参考になりました。
どうもありがとうございました。
これからもご指導よろしくお願いします。

稻田雅彦

ささやん、長~いのを読んで、しかもコメントまでしてくれてありがとう!
確かに戦後日本の一番の問題(構造的な問題)は、事実上アメリカの植民地化していると言っても過言ではない状態にあることだと思います。
僕は、まず、その戦後日本のスタートというのが、敗戦、占領という、日本が歴史上経験したことのなかった想像を絶するくらい過酷な状態からスタートしたのだということを、今一度確認し直す必要があるのではと思っています。
Wmodeにも書きましたが、明治維新と戦後の大転換を同列に並べる人がいますが、片や自らの手による懸命な富国強兵政策、片や戦勝国による敗戦国弱体化政策ですから、全く違います。
平和の問題に関しては、戦後の日本では「反戦」「平和」を唱えれば平和が来る、「軍事」を口にする者は好戦的、というような観念的平和主義(念仏平和主義)が瀰漫していますが、現実をしっかりとらえなければ何も生み出されはしないでしょう。反戦・平和イデオロギーに凝り固まった人たちは、往々にして平和的ではありません(かつては互いに殺しあう内ゲバまで引き起こしました)。人間や社会や国家の現実の中で、いかにいい形を作っていくかが、いつの時代の人間にも問われていることだと思います。

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