「日本を今一度洗濯いたし申し候」。
今年はNHKの大河ドラマが「龍馬伝」だったこともあって、
この坂本龍馬の言葉が
色々なところで取り上げられていました。
筆者自身は、「龍馬伝」は
2月くらいまでしか見ませんでした。
あまりにも史実と異なるからです。
「これはひど過ぎる」と思ったのは、
龍馬が下田で吉田松陰と会うシーンです。
まず事実の問題として、
この二人は会ったことはありません。
まあ、ドラマは作りものですから、
そういうのもアリということもあるでしょう。
しかし、筆者が「ひど過ぎる」と思った理由は
別のところにあります。
松陰はペリーの黒船に乗り込もうとするのですが、
なぜそのようなことをしようとしたのか。
ドラマでの描き方は、こういうものでした。
海の向こうには見たことのない文明の国アメリカがある。
それを自分の目で確かめたい。
松陰が黒船に乗り込もうとした目的は、
アメリカへの渡航ではなく
ペリーの暗殺だったという説もあります。
その真偽はともかく、
松陰は100%尊王攘夷の志士です。
単なる文明開化にあこがれる青年などではありません。
日本人が見たこともない軍艦で押し寄せ、
文字どおり砲艦外交を仕掛けてくるアメリカ。
それに対しなすすべがない弱腰外交の幕府。
このままでは、我が国は
欧米列強の植民地にされてしまうのではないか。
それを憂い、憤り、立ち上がったのが、
幕末維新の志士、尊王攘夷の志士です。
尊王攘夷という言葉は伊達ではありません。
「かくすればかくなるものと知りながら
やむにやまれぬ大和魂」。
これは乗船計画失敗後、
江戸に護送される途中で松陰が詠んだ歌です。
こうした時代背景と
「やむにやまれぬ大和魂」という
尊攘、憂国の思いを抜きにして、
吉田松陰という人間を語れるはずがないのです。
(長くなりますので、以下は「コメント」に続きを書きます。
右下の「コメント」をクリックして読んで下さい)
坂本龍馬に関しても同じことが言えます。
冒頭で取り上げた龍馬の言葉、
「日本を今一度洗濯いたし申し候」。
最近はカッコイイ颯爽とした
龍馬のイメージとともに、
この言葉がかなり知られるように
なってきました。
しかし、龍馬が
どういう日本を洗濯したいと思ったのか、
この言葉の背景にどういうことがあったのか、
そういった深い意味合いについては、
知らない人が多いのではないでしょうか。
ここでもう少し長く
龍馬の言葉を抜き出してみましょう。
投稿情報: 稻田雅彦 | 2010年12 月27日 (月) 16:32
誠になげくべき事は
長門の国に軍(いくさ)初まり、
五月より六度の戦に
日本甚(はなは)だ利すくなく、
あきれはてたる事は、
その長州で戦いたる船(欧米列強の軍艦)を江戸で修復いたし、また長州で戦い申し候。
これ皆姦吏(心のよこしまな役人。幕府のこと)の夷人(欧米列強)と内通いたし候ものにて候。
朝廷より先ず神州(神国日本)を保つの大本をたて、それより江戸の同志と心を合わせ、
右申すところの姦吏を一事に軍(いくさ)いたし打殺し、
日本を今一度洗濯いたし申し候事にいたすべくとの神願にて候。
投稿情報: 稻田雅彦 | 2010年12 月27日 (月) 16:34
龍馬が書いているのは、
下関戦争の時のことです。
文久3年(1863年)、
幕府は尊王攘夷派に押され、
各藩に対し形ばかりの攘夷の布告をします。
しかし、実際に攘夷を実行したのは
長州藩だけでした。
長州藩は馬関海峡(現関門海峡)を封鎖し、航行する欧米の船舶に砲撃を加えました。
しかし、欧米の連合艦隊の圧倒的な軍事力の前に、長州藩は惨敗を喫します。
この時、攘夷を布告した幕府は
「あきれはてた」ことに欧米列強と「内通」し、
彼らの船の修復に当たっていたのです。
そして欧米列強は修復された船で
再び長州を襲いました。
投稿情報: 稻田雅彦 | 2010年12 月27日 (月) 16:37
龍馬はそのような売国行為に激しく憤り、
そういう「姦吏を一事に軍(いくさ)いたし
打殺し、日本を今一度洗濯いたし申し候」
と言ったのです。
しかもこれは「神願」、神にかけての願いだとまで言ったのです。
姦吏(よこしまな幕府役人)を打殺し、
日本を今一度洗濯というのですから、
これはテロを伴う暴力的な革命を意味する
激しい言葉です。
龍馬もそれほどまでに激しい
文字どおりの尊王攘夷の志士だったのです。
投稿情報: 稻田雅彦 | 2010年12 月27日 (月) 16:41
今の世に龍馬が生きていたらという話が
よくあります。
そういう時、私たちは勝手な龍馬像を描いて楽しみを膨らませますが、
国難を一身に背負った尊攘、憂国の志士であった事実に、
今一度思いを致すべきだと思います。
今の世に龍馬が生きていたら、
最も憂えるのは、
諸外国の顔色ばかりうかがう
「あきれはてたる」政府ではないでしょうか。
投稿情報: 稻田雅彦 | 2010年12 月27日 (月) 16:51
とても勉強になりました。わたしも竜馬伝を観ませんでした。ちょっと作っている気がしたので。大河ドラマは全体的に作り話だなあと感じています。またご教授お願いします。
投稿情報: あっさん | 2010年12 月28日 (火) 10:11
あっさん、コメントありがとうございます。
龍馬や松陰に限りませんが、どうも最近の歴史ドラマは、幕末維新の志士を単に旧体制を打倒し近代化を成功させた若者と見ているような感じがいたします。
志塾で毎年訪ねる功山寺(高杉晋作挙兵の地)には、元寇の時、無学祖元が北条時宗に与えた言葉が掲げられています。国難を乗り越える歴史の力を感じます。
投稿情報: 稻田雅彦 | 2010年12 月28日 (火) 11:06
こんにちは。こちらへ書き込むのは初めてです。
吉田松陰はよく過激思想の持ち主みたいな言い方をされますが、今の日本の左翼とは違います。
幕末の志士には尊王か佐幕か、攘夷か開国かで分かれていますが、みんな同じ思想が流れています。それはどうしたら日本を守れるのか(良くすることが出来るのか)という思想です。
要するに幕末の志士は全員が中道から右寄りなのです。あの時代の侍に左派はいません。
吉田松陰はおそらく中道派です。自由主義の中道派というと、徳川幕府から見たら過激派ということになります。
高杉新作・桂小五郎・西郷隆盛など薩長の大名や家臣も中道ですが、吉田松陰よりは若干保守。
坂本竜馬・中岡慎太郎は薩長よりも少し保守
勝海舟、松平春嶽、山内容堂らは竜馬より少し保守
新撰組、彰義隊、会津藩、伊庭八郎などは一番右側(保守本流)
という図式になります。
みんな中道より右側なのです。
ひるがえって、今の政治家には左派(売国派)がいるのが問題です。日本を悪い方向に持っていきたいという思想がよく分かりませんね。
竜馬が生きていたら、左派の人間たちは「日本人ではない」と言うでしょう。
投稿情報: 好日 | 2010年12 月30日 (木) 18:31
好日さん、コメントありがとうございます。Reコメが遅くなり、失礼いたしました。
小生、吉田松陰は尊敬していますが、一方で幕末史で一番魅かれている人物は会津藩の松平容保なのです。片や長州、片や会津で正反対のようですが、小生からしますと同質なお二人です。至誠と尊王という点において。
討幕側も佐幕側も尊王に変わりはありませんでした。好日さんが書かれているように、竜馬が生きていたら、左派の人間たちは「日本人ではない」と言うでしょうね。
投稿情報: 稻田雅彦 | 2011年1 月13日 (木) 11:17