この「先人達に学ぶ第二の人生」は、第二海援隊グループで運営している「老後安心クラブ」の会報誌『ゆうゆう自適』に連載しているものです。
この度の大震災。被災地の方々が秩序を保って協力し合う姿が全世界から称賛される一方、被災地からは遠い大都会の人間達が、菅直人首相に象徴されるごとく、原発放射能問題にどう対処してよいか分からず右往左往する様は、現代人がいかにいざという時に無能であるか、覚悟がないかを如実に示しました。
しかしそんな中で、覚悟を持った男たちもいました。
原発作業に当たった自衛隊特殊化学防護隊の隊員たちは志願者です。しかも年齢は55歳から上。もう子育ても終わりに近づいて思い残すことはないと志願者となったそうです。そのような志願者が50名もいたといいます。
東電が全国の電力会社、協力企業に助けを求めました。言わば決死隊として、原発の内部作業をする原発関係者のベテランを募ったのです。中国電力の原発勤務40年というある男性は、「この作業は自分達のようなベテランがやるべきだ。自分は定年まで後一年だし、子育ても終わった」として、志願したそうです。ご家族は静かに思いを語る、自分の夫、父親の決意に何も言えませんでした。その方の娘さんは、今までと違う父のもの静かな顔を初めて見たそうです。翌朝、彼はいつも出勤する時のように、「じゃあ、行ってくる」 と言って玄関を出ていきました。電力関連でも、そのような志願者が20名もいたとのことです。
原発での作業中、放射線被爆があります。国が定める限界被爆単位は100ミリシーベルト。それが250ミリシーベルトになりました。それは、彼らが望んだからだそうです。100ミリシーベルトではすぐ時間が経ってしまい作業ができない。だから250に上げてくれと。それくらいの被爆は覚悟の上なのです。
こういった方々の姿を拝見して、筆者は「武士道というは、死ぬ事と見付けたり」という『葉隠』の言葉を思い出しました。『葉隠』はご存知の方が多いでしょうが、江戸時代、鍋島藩士の山本常朝が、武士道を説いた書です。この言葉は有名ですが、これだけですとただ死に急ぐようなイメージになってしまいます。しかし、『葉隠』が説いているのは、そういうことではありません。覚悟です。意識です。先の有名な言葉は下記に続きます。
「二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くばかりなり。別に子細なし。胸すわって進むなり。図に当たらぬは、犬死などという事は、上方風の打上がりたる武士道なるべし。二つ二つの場にて、図に当たるようにするは及ばぬことなり。我人、生くる方が好きなり。多分好きな方に理が付くべし。(中略)毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生落ち度なく、家職を仕課すべきなり」。
二つ二つの場とは、生死のかかるギリギリの局面のことです。誰もが我が身がかわいいもの。そして我が身かわいさから取った行動に理屈をつけるものです。生死がかかるギリギリの局面でそういう私心を捨て、胸すわって邁進できるか。それは、ギリギリの局面を迎えて初めて問われるのではなく、常日頃から我が身かわいさを戒める意識があってこそだということを『葉隠』は説いているのです。
志願した自衛隊の方々、電力関係の方々の精神には、この『葉隠』の武士道が生きていたと言えるでしょう。こういった方々の姿こそ、日本人が心に刻み、そして伝えていくべき「第二の人生」のありようではないでしょうか。
稻田雅彦
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