今日は長崎。3日前は広島。原爆忌の季節である。
私は毎年この季節が好きではない。
正直に言うとうんざりしている。
それは、おかしいからである。歪んでいるからである。
「原爆許すまじ」という言葉を唱和することが。
よく話の引き合いに出すのだが、
肉親をナイフで刺されて殺された遺族は、
「ナイフ許すまじ」という思いに駆られることはない。
殺した犯人を許せないと思うのである。
それが普通である。
広島、長崎の件で言えば、
原爆は大量殺人に使われたナイフに過ぎない。
(「過ぎない」という表現に反感を持つ方もいるであろうが、
要は憎むべきは殺人犯だということである)
だからこそ、
「東京裁判において、日本を裁く法的地位は存在しない」という公正な意見を主張した
インド人法学者、ラダ・ビノード・パール(東京裁判の判事)は、
原爆投下とそれを正当化する主張を強く批判し、
昭和27年11月5日に広島原爆死没者慰霊碑を訪れた際には、
「過ちは繰返しませぬから」の碑文を読んで、
「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」
と非難したのである。
これに対して碑文を書いた広島大学の雑賀忠義教授は、
「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。
これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである」
と反論したというのだが、
このおかしさ、異常さに、戦後日本の歪みが如実に表れていると言えよう。
肉親を殺された遺族が、犯人を憎まず、
「世界市民であるわれわれが、誤りを繰り返さないと誓う」
などという精神に一体どうしたらなれるのだろうか。
パール・雑賀のやりとりがあったこの昭和27年という年は、
言うまでもなく非常に意味のある年である。
この年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し日本は主権を回復した。
それまでは連合国軍、事実上は米軍の占領下に置かれていた。
原爆を落とした強者の支配――それを予断なく想像してもらいたい。
なぜ、殺人犯であるアメリカが許すまじき対象ではなく、
許すまじき対象が原爆という物質に取って代わったか、
想像できるのではないだろうか。
いまだに、日本は終戦によって言論の自由を得たかのように
思っている日本人は多いようであるが、
ごく普通に常識を巡らせてみただけでも、
そんな甘い話があるはずがないことは容易に想像できよう。
占領軍は、新聞雑誌などあらゆる出版物、放送や手紙、電信電話、映画などへの検閲を行った。
連合国の批判はもちろん許されなかった。
それのみならず、検閲が行われていることへの言及も禁じられた。
この占領下の7年間で、精神はアメリカの犬になってしまったのである。
雑賀教授の声は、「良心の叫び」などという美しいものでは全くない。
占領によってアメリカの犬となった哀れな日本人の声である。
そして、「検閲なんてやってないんだよ」「そういうことに触れちゃいけないよ」……
そういう空気の中で7年間生きるほかなかった日本人は、
真実から目を背け、悪かったのは日本人だという自らを卑しめる精神が、
本当に身についてしまったのである。
話を原爆に戻そう。
原爆は非戦闘員の無制限殺戮を行なったという意味で、
東京など一連の大空襲と同質なものである。
そして、これは当時においてさえも国際法違反の、
それこそ戦争犯罪である。
1899年、オランダのハーグで開かれた第1回万国平和会議で採択されたハーグ陸戦条約。
この第22条には、「交戦者は無制限の害敵手段を使用してはならない」と定められている。
当時から、戦争だから何でも許されたわけではなかったのである。
よく広島・長崎の原爆投下の話に対抗してアメリカ人が持ち出してくる「真珠湾攻撃」は、
日本海軍によるハワイ・オアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対する攻撃であって、
ホノルル市街の無制限爆撃などでは全くない。
やっていることの次元が違うのである。
(ついでに言えば、
同23条5項では「不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること」を禁じている。
普通に考えれば、原爆はまさにこれに該当するであろう)
私がここまで書いてきた内容に一応の理解を示してくれる人でも、
「では、どうしたいの? 今更原爆や大空襲の賠償請求をしようって言うの?
それは無理ですよ」
と冷静な反論を返してくるかもしれない。
それは私も当然認識している。
前記サンフランシスコ講和条約第19条により、
我が国は戦争によって生じた請求権を放棄している。
だから、今更アメリカに対して
原爆や大空襲の賠償請求などできはしない。
しかし、
この理不尽さに歯噛みする思いをなくしてしまってはいけないと思っている。
この理不尽さに歯噛みする思いこそ、
本来の日本人の普通の思いである。
私は、この歴史に連なる日本人の普通の思いを回復しなければ、
日本の再生などあり得ないと考えている。
あの戦争は「もう昔の話」ではない。
それが証拠に、
今でも毎年「原爆許すまじ」は日本中を覆う。
「過ちは繰り返さない」と、
何か自分たちが過ちを犯したような言葉が、
ごく当たり前に出てくる。
敗戦占領によって作られた精神の空間は続いている。
先の大戦に反省は必要である。
建国以来、一度たりともなかった大敗北を喫し、300万人もの同胞を亡くしたのだから、
それは当然である。
しかし、反省するにしても、
現代の高見に立って
「あり得ない。ひどい時代だった。戦前の日本人は愚かだった」などと簡単に評するのは、
全く意味がないと私は考える。
その時代を生きている人間は、皆その時代の制約の中で(今を生きる私達もだが)、
懸命に生きているのである。
「どこでどういう判断があり得たのか」。
同じ日本人として、その場に置かれた先人達の苦闘を追体験しながら考えなければ、
意味をなさないであろう。
かつて江藤淳さんは「他人の物語と自分の物語」と題するエッセイの中で、
戦後の日本人の言論表現に関し、次のように述べている。
「だが、いったい人は、他人が書いた物語のなかで、いつまで便々と生き続けられるものだろうか?
むしろ人は、自分の物語を発見するために生きるのではないだろうか。
自分の物語を発見しつづける手応えを喪失し、
他人の物語をおうむ返しに繰り返しはじめたとき、
人は実は生ける屍になり下がり、
なにものをも創ることができなくなるのではないだろうか。」
自分の物語を取り戻さなければ、
日本人の戦後が終わったとは言えないであろう。
再生日本21
執行役員 稻田雅彦
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