松下陋(ろう)村(そん)と雖(いえど)も、誓って神国の幹とならん
この「先人達に学ぶ第二の人生」は、第二海援隊グループで運営している「老後安心クラブ」の会報誌『ゆうゆう自適』に連載しているものです。
吉田松陰。この名前を知らない方はいないでしょう。幕末、松下村塾で多くの志士を育てた教育者。松陰の松下村塾からは、松門の龍虎と称された高杉晋作、久坂玄瑞をはじめ、伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎、山田顕義、野村靖といった明治政府の最高指導者が数多く輩出されました。
ここまでの話は多くの方がご存知でしょう。しかし、松陰は文政13年(1830年)8月4日に生まれ、亡くなったのが安政6年(1859年)10月27日ですから、わずか29年の人生でした。この短い人生でこれほどの人間を輩出する教育力、人間力というのは、一体どのようにして養われたのでしょうか。
吉田松陰は、長州藩士・杉百合之助の次男として生まれ、五歳の時に後継ぎがいない親戚の吉田家の養子となります。この吉田家は代々山鹿流軍学師範の家で、松陰は五歳から山鹿流軍学師範として恥ずかしくない教育を受けることになりました。その教育に当たったのは、叔父の玉木文之進です。玉木文之進の教育は激烈を極めました。松陰、(数えの)六歳の時から『孟子』の素読を教え、暗誦を命じて松陰が出来ない時は、容赦なく鞭が飛んできたと言います。こうした教育で徹底的に鍛えられた松陰は、十一歳にして藩主の御前で『武教全書』を講義するまでになります。その後も松陰は軍学者として長沼流兵学、アヘン戦争の記録などを学ぶとともに、『論語』など中国の古典も学び続けます。
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