再生日本21
「龍馬エッセー(6)」
(4.26.2010 by Kouichi Hattori)
Webウォッチャー最新号コラムでもふれたが、PFP文庫「坂本龍馬」(黒鉄ヒロシ・作画)を最寄りの書店で手にしてみた。土佐出身である黒鉄氏の曾祖母から祖母へ伝えられたらしい、龍馬と同時代人であるひとの真贋を確かめようがない龍馬語りも含まれているようで興味深い。史実と虚像のギャップは世の常であり、新史料が発見されるつど史学家の手で新たな龍馬像がつくられるものかもしれないが、維新回天の功労者である土佐の英雄・龍馬に心からの尊敬の念を抱いて黒鉄龍馬が描かれている。龍馬の生涯をあらためて俯瞰的に眺めてみたければ格好の漫画文庫であろう。発見された新史料によれば、龍馬は薩摩のエージェントであったかもしれない、という可能性を否定できないものらしい。
当然のことながら史学家の使命は史料に忠実でなければならないことだが、歴史をテーマにする小説家や漫画家等の芸術家は、確かな年号や行為に忠実でなければならない反面で、登場人物の想いという思想については、ある程度まで独自のフィクション虚構を記すことがゆるされる。ある歴史作家が笑いながら宣う、自分の作品には嘘も含まれている、だがそれによって日本人読者諸兄が啓蒙かつ勇気づけられて、やがてくる怒濤の近未来社会のなかでも自己の強い生きざまを見いだしつづけ、しいては生涯にわたり倦むことなく前進してくれれば作家冥利につきるというものだろう、しょせん自分が書くものは大説ではなく小説なのだと。また、歴史小説を描く理由は、堂々と嘘を書けることにある。
遙か遠い過去から現代まで生き続けている人はいない、そのような人がいたらぜひ出会いたいので教えてほしい。だれもその実像を知っている人がいないから怒られなくて気楽だとも。まさしく高度経済成長時代の司馬遼太郎、城山三郎といった作家の真骨頂である。時代は遷り、ふたたびみたび国家の存続が危ぶまれているが、まだ多くの日本人は新しい時代の青写真を脳裏に浮かべることができないまま、時代のうねりに翻弄されている。我をふくむ小者たちが、生きんがための金銭や党利党略に奴隷的に執着しているうちに正常な判断力を欠いてしまい、精神まで病んでしまったという欠陥者揃いのいたって深刻な状況である。世の中なかなか器の大きな人物はいそうにないが、いたら会いに行きたい。
けつの穴の大きな人物は、いまどこに潜んでいるのかしらないが、ぼちぼちスタンバイする時ではないのだろうか。まあしっかり爪を研いでおいてください!【○身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ・一身を投げ出す覚悟があってこそ、窮地を脱して物事を成就することができる。○太山は土壌を譲らず[戦国策秦策]太山が小さな土くれをも包含して大きな山となっているように、大人物は度量が広く、人々の小さい意見もよく容れて大事業をなしとげる。広辞苑第六版】
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