再生日本21
「龍馬エッセー(9)」
(6.10.2010 by Kouichi Hattori)
龍馬がつくづく偉かったと想えるのは、飛耳長目に徹していたことだ。飛耳長目といえば、吉田松陰が松下村塾で使ったテキストであったと聞いている。【ひじ‐ちょうもく、遠方のことをよく見聞する耳目。物事の観察に鋭敏なこと。転じて、書籍のこと。広辞苑第六版】龍馬の幼年時代に、大好きだった姉のひとりが外海を望む浦戸湾口の商家へ嫁していて、龍馬は浦戸湾の奧にあたる本町の生家からよく連れられて、姉に会うために浦戸へ行ったという。そこから桂浜は目と鼻の先であり、そのつど桂浜からうち眺める外海の茫洋とした光景は、いつもその先にあるなにかを龍馬に想像させていたのではなかろうか。この広い海の左右のかなたには、足摺や室戸が遠くかすんでいる。なにも見えない真ん中をゆけば、いったい何があるのだろう。南蛮人らはその遙か遠い国から黒船でやってくるという。気宇壮大な想像力が育まれる下地が充分にあったはずだ。
後年、河田小龍を訪ねて黒船のことや外国のことを知ろうとしたのも、あくなき好奇心や想像力の表れであったはずだ。 12年ぶりにアメリカから帰還したジョン万次郎の取調べを任された土佐藩の絵師小龍は、万次郎の漂流を「漂巽紀略」にまとめている。尊皇攘夷思想についても、その真意について土佐にいる武市半平太や長州にいる松蔭門下生の久坂玄瑞から聞き出している。龍馬にとっては「我以外すべて師」と考える度量の広さがあった。分からなければ、とことん分かるまで聞こうとした姿勢が素晴らしい。その龍馬の人間的魅力が、勝海舟や松平春嶽・横井小楠、西郷隆盛や桂小五郎、はたまた武器商人のグラバーらを惹きつけたのではなかったか。叔父の吉田東洋暗殺事件で敵対関係にあった土佐藩上士の後藤象二郎をも味方に引き入れた。船中八策は、横井小楠「国是七条」の影響を受けているようだが、それを後藤に示し、ついては山内容堂に大政奉還を進言させた。
薩長同盟にしても、盟約書に龍馬の裏書きがなされていることに鑑みても、両藩の重鎮らを口説いてそれを成功に導いた龍馬の功績は大きい。明治新政府に徳川家を加えようと考えていた節のある龍馬にとって、グラバーから買い付けた1855最新式の英国製アームストロング砲やミニエール銃ゲベール銃また蒸気船ユニオン号によって、薩長が倒幕の意志を固めてゆくことになろうとは、思いもせぬことだったのかもしれない。関ヶ原合戦で西軍に属し敗れた島津薩摩と毛利長州と、東軍に属し勝利した山内土佐。恩顧のある徳川の存続を希う山内容堂にとって、倒幕など龍馬とおなじく考えられもしなかっただろう。ただ容堂は、一豊をはじめとした先祖代々の徳川恩顧を金科玉条としたのに対し、龍馬は土佐藩や長宗我部下士の身分という恩讐を超えた、日本全体という広い視野で時勢を捉え、協力し合うことによって西洋列強に対峙しようとしていたのだ。さすがである。
船中八策
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E9%A6%AC
1.政権を朝廷に奉還し、政令は朝廷より出すべき事(大政奉還)
2.上下議政局を設け、議員を配置して政事を参照し、政事は公議を以て決定する事(議会開設)
3.有能な公卿諸侯その他の才人を顧問として官爵を賜い、従来の有名無実な官位は除くべき事(官制改革)
4.外国との交際は広く公議を採り、新たに至当な規約を成立せしむ事(条約改正)
5.古来の律令を折衷し、新たに法典を撰する事(憲法制定)
6.海軍を拡張する事(海軍の創設)
7.御親兵の設置を以て帝都の守衛をなす事(陸軍の創設)
8.金銀物価は外国と均しく法を設ける事(通貨政策)
一策 天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事
二策 上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事
三策 有材ノ公卿諸侯及天下ノ人材ヲ顧問ニ備ヘ、官爵ヲ賜ヒ、宜シク従来有名無実ノ、 官ヲ除クベキ事
四策 外国ノ交際広ク公議ヲ採リ、新ニ至当ノ規約ヲ立ツベキ事
五策 古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事
六策 海軍宜シク拡張スベキ事
七策 御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守護セシムベキ事
八策 金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クベキ事
作家・コラムニスト 服部光一(はっとり・こういち)
第二海援隊Webウォッチャー
http://www.dainikaientai.co.jp/webwatcher/webwatcher.html
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