第一回、第二回では、「日本人の心」を形作ってきたものについて語りました。
今回は第三回に引き続き、江戸時代の武士の「精神性の高さ」を物語るエピソードを御紹介いたします。
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◇「武士は食わねど高楊枝」は本当だった!
江戸時代の武士は支配階級にあった。では武士は庶民の上に立って楽な暮らしや、贅沢をしていたのだろうか。
「武士の家計簿」(磯田道史著 新潮新書)によれば、一般的な武士の生活に余裕はほとんどなく、雇っている家来よりも困窮していることがしばしばあったことが伺える。
この本は、加賀100万石の前田家に仕えた猪山家について書かれている。
猪山家は藩の会計の仕事をしていた。現在で言えば県庁の経理課に勤務するエリート役人といったところだ。ところが猪山家では、収入の二倍もの借金を抱えていた。これだけの借金は、江戸時代末期の武士では平均的だった。
武士の家計を圧迫していたのは「武士身分としての格式を保つために支出を強いられる費用」。親類や同僚との交際費、儀礼・冠婚葬祭などの行事の費用、家来を雇うための人件費などだ。
猪山家では家来を二人雇っていました。いざという時に武士は、戦場に家来を連れて行かなくてはならないからだ。ただし中期以降は半ば形骸化して、近隣の農民を雇って家事の手伝いなどをさせていた。
家来には給金やお小遣い、お使いの駄賃を出していた他、住み込みだったので食費もかかる。
そのため、猪山家は身の回りのものを処分し、米を節約して食べて、余った分を売って家計の足しにしていたほどだ。家来は衣食住付きで給金は自由に使えたが、雇い主の方は小遣いもほとんどなく、厳しい生活をしていた。
このように清廉潔白で厳しい生活をしていた武士。町人たちはその姿を尊敬し憧れていた。裕福な農民や町人が武士の家格を得るために、有力な武士にせっせと献金したりすることも、しばしばあったという。
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