第6回では「神仏儒摺合の破壊」、第7回では「自然環境の破壊」について見てきました。今回は、「コミュニティの破壊」についてみてみましょう。
◇「コミュニティの破壊」
コミュニティ(共同体)というのは、同族・家族・仲間意識で結びついた「心の拠り所」だ。
コミュニティは様々な角度で分類ができるが、ここでは規模という面からみてみよう。
まず、大きなコミュニティとしての国がある。それよりも身近な単位として、町や村というコミュニティがある。そして家族という最も基礎的な単位のコミュニティがある。これらのコミュニティを失うと、人は心の拠り所を失い、不安定になる。
明治政府は富国強兵を進めた結果として、この3つのコミュニティを破壊するに至った。
① 大きなコミュニティの破壊
明治政府は、中央集権化を進めるため廃藩置県を行なった。それまでの日本人にとっては藩=国であった。また、藩に仕える武士の間では特に、「藩=一つの大きな家の家族」という意識が強かった。明治維新によって、この藩という大きなコミュニティが失われた。
② 身近なコミュニティの破壊
各村落の中心には神社があったが、これも神仏分離や神社の統廃合で破壊された。村落の神社は、村の寄り合いや祭りなどで庶民が集まったり、悩み事を神主に相談するなど、庶民の心の拠り所だった。つまり「小さなコミュニティ」の中心だったが、これも失われていった。
③ 家族というコミュニティの破壊
江戸時代までは、家族全員で働く農業や、職場と家庭が一体になっていた商工業などが、ごく当たり前な仕事の形態だった。そのため、一日のうち、家族一緒で過ごす時間が長かった。
しかし、明治時代の産業革命によって、工場労働や会社勤務などで仕事と家庭の分離が進んだ。また、技術が高度になるにつれて、仕事に必要な知識を得るための教育期間も長期化した。そのため、家族が一緒に過ごす時間が減り、「家庭というコミュニティ」の崩壊も進んだ。
◇
明治維新による「西洋科学技術文明導入」の結果として、日本は他のアジア諸国と異なり、植民地支配を逃れることができた。だが同時に、江戸時代の社会の基盤となっていた「精神」「環境」「コミュニティ」を崩壊させ、失うことになった。
結果として、江戸の社会システムの中で育まれてきた「高い精神性」を捨て去ることになった。
それを決定付けたのが、「太平洋戦争の敗戦」だった。(続きます)
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