第6回では「神仏儒摺合の破壊」について見ていきました。次に、「自然環境の破壊」についてみていきましょう。
◇「自然環境破壊」
日本ではかつては、「草主人従(そうしゅじんじゅう)」つまり「自然が主、人は自然に従うもの」という考えが中心だった。あらゆるものに神が宿るという「アニミズム」が浸透しており、巨岩や巨木、山や河川などの自然物を「神」として奉る習慣があった。
そのため、自然を破壊することにはタブー意識がはたらき、極端な環境破壊に歯止めがかかっていた。
ところで明治政府は富国強兵のために、国内の産業育成策=殖産興業を行なった。積極的に官営工場や官営事業場を作ったのだ。この結果、日本にも産業革命が起き、産業が発達した。
しかし産業が発展した結果、工場やコンビナートが次々と建設され、美しい海岸線や自然が破壊されることになった。
鎮守の森などの貴重な生態系が失われ、また人々の心から「自然に対する畏怖」が急速に失われていった。
人間は自然の一部であるという「草主人従」の思想が失われ、人間がすべての中心であるという思想(人間中心主義=ヒューマニズム)が広まっていった。自然豊かな田舎は悪く、物質が豊かな都会は良い、と考えるようになった。
その結果、人々は、感謝、感激、感動などの「精神的豊かさ」に価値を見出さなくなった。代わりに「物質的豊かさ」だけで、ものの価値を判断するようになっていった。(続きます)
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