江戸時代は、鎖国をしていたため、封建的で世界から遅れた社会だった、と思われている。
確かに産業革命や市民革命などを経たヨーロッパ諸国などと比べると、科学技術や社会制度などの面では遅れをとっていた面はあるだろう。しかし別の側面でみると、実は各分野で「世界一」を誇るものがあったのだ。
その中には、「これからの日本」をつくるヒントになる面もたくさんある。
どんな世界一があったか、ひとつずつ見ていこう。
① 江戸は、水と緑と花に恵まれた「世界一美しい大都市」
花のお江戸は「水の都」。今風に言えば、東京湾に面した「ウォーターフロント」の街。しかも、運河と水路が張り巡らされて、舟が主な交通機関だっていうくらいの水の都だったわけさ。
さらには、町の中は花と緑が溢れてた。
現代の東京とは違い、当時の江戸は田園都市。ちょっと郊外に行けば、田畑が広がっていた。
また、大名屋敷には広大な庭園があり、趣向を凝らした庭造りをしていた。大名からすれば、立派な庭はお国自慢のひとつというわけ。
中でも尾張徳川家の下屋敷「戸山荘」は、庭園の中に宿場町を再現して、米屋、酒屋、茶店から医者の家まで造ったほど。今で言う「テーマパーク」のようなものさ。
また、数多い寺社には鎮守の森もついていた。さらに、一般庶民の間でも趣味として、花の栽培が広まっていた。特に朝顔は大流行。武士の中にも「小遣い稼ぎ」に珍しい品種の朝顔を育てていたのが結構いた。
つまり江戸の街全体が「ガーデニング都市」だったというわけだ。
鎖国を解いた幕末~明治初期にかけて、来日した多くの外国人が「江戸の町の美しさ」を絶賛している。例えばトロイ遺跡発掘で名高いシュリーマンは、幕末期の江戸を訪れ、「日本人は皆すぐれた庭師である」と、その美しさと清潔さを称えている。
コンクリートとアスファルトで作られた今の東京と、花と緑と水に囲まれた江戸。あんた達だったら、どっちに住みたい?
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