(第二部講演 「日本の明日の国の形を求めて―江戸時代を一つのモデルとして―」
講演者:飛岡健 の内容です)
◇江戸時代になぜ文化が発展したのか
江戸はもともと「入り江の戸口を意味する小さな漁村」でした。徳川家康は、たくさんの人間が生活できるように、陸運、海運や上水道などのインフラを整備しました。
江戸中期には人口100万人を突破。参勤交代で多くの武士が全国各地から集まっていました。また町人も生産性が高まり、時間と金銭の余裕ができたことが、様々な文化を発展させました。
江戸時代以前には、高度な文化というのは貴族や大名など、一部の特権階級のものでした。例えば源氏物語や古今和歌集など、日本を代表する古典文学は、作者も受けても貴族が中心でした。
しかし元禄文化(京都・大阪など上方中心の文化)や化政文化(江戸を中心に発展した文化)などは、作者も受け手側も町人が中心となって発展していきました。
ゴッホやガレーなど、ヨーロッパの芸術家にも大きな影響を与えた浮世絵や、寿司・天ぷらなど和食を代表する料理など、現代に続く「日本の文化」は、江戸時代に発展したものが中心です。
国の発展は、軍事大国→政治大国→経済大国→文化大国という流れで進んでいます。戦争が長く続くと人々が安心して生活できず、経済や文化が発達しないからです。つまり江戸時代に文化が花開いたのは、およそ260年もの平和な時代が続いたからでしょう。
一方、現代の日本をみて見ると確かにモノは豊かにありますが、江戸時代ほど文化的に豊かだと言えるでしょうか? 「日本の文化」の代表として後世に残るほどのものが、どれくらいあるでしょうか。
経済大国となったいまの日本が、次に進むべき道は、さらなる経済発展ではなく、「文化大国」を目指すことではないでしょうか。
(続きます)
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