モノが貴重だった江戸時代。少しでも使えそうなものは徹底的に工夫して使いまわした。
特に貴重だったのが鉄などの金属。錆びた包丁、壊れた鍋釜、古釘なんかを買い集めて、鍛冶屋などに転売する古鉄(ふるがね)買いという仕事があった。この商売は実入りがよく人気があったとか。
一番徹底していたのは着物だろう。江戸の町人は、よほど大店の旦那くらいしか、新品の着物は買えなかった。それで庶民は主に古着屋に通った。
もともと和服っていうのは、糸を解けばカンタンに布地に戻せる作りになっている。だからサイズが合わなくても、カンタンに仕立て直しできる。お気に入りの柄の着物だったら、古びれば帯に仕立て直したり、巾着袋にしてずっと愛用することもできる。最後は雑巾にしてまで使う。
、破れた傘をみんなから買い取って、それを直して売る古傘買いって商売もある。どうにも直せない傘は、油紙は生ものなんかを包む包装紙に、折れた骨は焚き付け用にするっていうから徹底している。
建物を建て直すときでも、利用できるものはすべて使った。壊した建物の梁や柱を再利用して、新しい建物に使ったほどだ。
こうしてみると、江戸っ子たちはモノは少なかったが、かわりに知恵と工夫をたっぷり持っていたとも言える。反対に現代では、モノは確かにたくさんあるが、知恵と工夫は衰えてしまったようにも思えないかい?
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