◇ ゴミはない!?何でも資源に
何気なく捨てているゴミだが、ひとつひとつ見てみると、まだまだ工夫の余地がある。江戸っ子はこの一工夫が得意だった。
例えば紙。使った古紙を集めて漉き直せば、立派な再生紙ができあがる。再生紙は主に、現代で言うティッシュやトイレットペーパーに使われた。
元手がある奴は、店や家を回って古紙を買い取り、それを古紙問屋に転売したが、元手のない奴は道端に落ちてる紙を拾い集めてもいた。紙屑拾いって仕事だ。
道に落ちている髪の毛を拾い集めて、それをカツラにする「おちゃない」なんて仕事もあったくらいだ。当然、江戸の道端にゴミなんざ落ちていない。というよりも、江戸の人々は、あるものすべてゴミではなく「資源」と考えていた。
江戸時代の燃料は薪。燃やせば当然灰が出る。この灰まで使っていた。灰は水に溶くとアルカリ性で、汚れを落とす洗剤代わりになる。今で言うクレンザーみたいなもの。
畑に撒けば肥料にもなる。江戸近郊の農民達は肥料として灰を求めたから、江戸の町民から灰を集めて農民に売る、灰買いという商売もあった。
肥料といえば、下肥買いを忘れちゃいけない。長屋の共同便所なんかから排泄物をさらって、それを有機肥料として農民に売るという仕事だ。
長屋の大家さんとすれば、便所は綺麗になる上に、下肥代として金も入る。農民にとっても、有機肥料で作物もよくできる。有機肥料で出来た作物は、また江戸っ子のお腹を膨らませるって具合だ。
おかげで江戸周辺には、野菜の名産地がいくつもできていた。有名どころでは、練馬の大根、谷中のしょうがなど。小松菜ってのも、いまの江戸川区に流れていた小松川近辺で作られていたのが名前の由来だ。
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