今年より当ブログに幕末史を連載することにしました、3期生山本晃司です。
現在「歴史ノンフィクション作家」デビューに向け、格闘中ですが、将来の本格的な出版に向けて今できる「意見発信」「歴史観発表」の場として少なくとも今年一年は連載をする決意です。
今月より福山雅治主演による「龍馬伝」がスタートし、今年は「幕末史ブーム」になりそうです。戦国時代と並んで、個性的な英雄が数多く輩出した人間的魅力が溢れた時代であり、民主党政権に代わっても遅々と真の改革が進まない現状打開の理想郷として幕末史観が語られ、龍馬のみならず倒幕・維新に向けて活躍した志士の生き方が一層見直されることになると思われます。
しかし、我々志塾生がこれからの革命(以後平成維新と呼びます)を考える際には、
あえて「龍馬始め志士の活躍のみで倒幕・明治維新がなされ、当時の西洋列強に対抗できる日本が誕生した」のではない
ことを踏まえて、来るべき「平成維新」の時、どう行動すべきかを考えるための「たたき台」となる日本の歴史をどう見るか、歴史観をこのブログにて発表したいと思います。
もちろん、個々の人物・事件・事象に関しては「私の方が詳しい」「それは間違っている。こう考えるべきだ」という異論・反論はあると思いますので、是非皆さんのご意見も投稿してください。幕末史に限らず、「古代から現代までの日本の歴史に流れる一貫した原則に基づく考察、世界史との比較・相対化しての考察」で論を進めたいと思います。大学教授・歴史学者とは一線を画した「オールラウンド」な視点での私論です。基になるのは、作家として師と考える、井沢元彦代表作『逆説の日本史』シリーズであり、その中で取り上げられている「日本教:①和の精神②話し合い絶対主義③言霊信仰④穢れ忌避⑤怨霊信仰」に加えて、私自身のプラスαを加えたものです。
そこでまず、私自身の「幕末史」に関する基本的な捉え方ですが、明治維新後あるイギリス外交官が語ったとされる
「明治維新はヨーロッパなら数百年かかるものをわずか数年でわずかな犠牲で成し遂げた世界史上の奇跡。」
に全面同意します。勿論、旧会津藩藩士など「わずかな犠牲だと。ふざけるな!!」という声があるのも事実ですが、西欧での市民革命やナポレオン戦争による混乱、アメリカも南北戦争により60万を超える犠牲者が出たことを考えるとやはり世界史の上では、極めてソフトランディングだったと言えます。
では何故、犠牲が比較的少なく体制転換(明治維新)が成功したのか。もちろん、龍馬始め志士の活躍を否定するわけはありませんが、それのみを注目するはやはり間違いであり、更に困難な平成維新を成し遂げるためにも、いろいろな視点を持つべきと考えます。
やはり、(世界史での他国との比較ですが)比較的すんなり革命がなったのは、「勝海舟の存在」に加えて、最後の将軍が水戸家出身の「徳川慶喜」であったことが極めて重要であったと言えます。
「えっ、敵前逃亡して、すんなり恭順した弱腰将軍慶喜が?」というのが普通の反応でしょう。本来なら、将軍になるはずのなかった慶喜が最後の将軍になったのが、後の日本のためには良かったと評価するには、幕末期だけでなく、そもそも徳川家康の「ほぼ完璧な国家体制つくり」がどういうものであったか、その家康の構想がどうして崩れてしまったのか、その要因を踏まえないといけません。そのため、今回の連載では通常の幕末史記述にあるように「ペリー来航→開港‥といった時系列で事件を解説することはしません。
幕末→家康→信長等、時代を逆に上ったりまた幕末に戻ったり、世界史との比較があったりと、読んでて疲れる(?)ものになると思いますが、覚悟の上お読みください。
そうはいってもやはりスタートは「ペリー来航」で始めます。やはり「ぺりー来航」は大きな転換点になったのは間違いありませんので。それではまた。
「日本教」を柱にした視点、歴史のさかのぼり、非常に楽しみです。
個人的には、慶喜は好きではありません(会津藩主・松平容保には非常に引かれます)が、でもどういう観点から最後の将軍・徳川慶喜をとらえるのかには、興味がありますね。
投稿情報: 稻田雅彦 | 2010年1 月19日 (火) 17:47
「龍馬伝」に負けない、山本ワールドの歴史観と人物観と提言を楽しみにしております。
投稿情報: 横山嘉亮 | 2010年1 月25日 (月) 17:53