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コメント

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山本晃司

しばらく見ていなかった「美の壺」を再び見ようという気になりました。ルールに縛られない、と聞くと励みになります。勿論、ルールが出来た経緯を知り守ることも意味がないわけではないのですが、やはり現在に合わせて簡素化するのもすべての文化が継承される過程では不可避なことと思います。バランスの問題は難しいですね。
これからの連載、楽しみにしています。

横山嘉亮

「ルールのかなりの部分を無視してよい」という話しは、チョット勇気をもらいました。
和室も床の間もある家に住みながら、一度も着物を着たことがないので、今度こそ踏み出してみます!

佐々木 清行

「着物を着る」ということを、私は今まで考えたことすらありませんでした。着物は結婚式などの「お祝い事の時に着る」というふうに、固定観念でとらえてしまっていたようです。
 今はあらゆる生活の場面が西洋化されていて(こういうことも最近では“アメリカナイズ”などという言葉を使いますよね)、それが当然だと思い込んでいます。
 だから、今の価値観というものはたかだか50年とか100年という期間で作られているものだということを、家庭教育、地域教育、学校教育の現場などで、教えていく必要があると思います。
 それにはまず、私達大人が学び、動き出さねばいけませんね。

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