鴨志田直樹さんという人が、『男のふだん着物』(河出書房新社)という本を書いています。
この方は、舞台監督・演出の分野の方で、大学の講師もしています。
日常的に着物で過ごしているとのことで、写真を見ると年は30代でしょう。
けっこうカッコイイ。
で、この本の「はじめに」で、鴨志田さんはこう書いています。
「着物のルールのかなりの部分が無視してよいのではないかと、私は思って着ています(中略)。ルールにしばられると、着物を着られなくなってしまいます。これでは本末転倒。それに、そのルールも結構新しく、戦後できたものが多いようです。だから、私は自分流を通しています」。
さらに、「とことん手抜きして着てみる」という単元では、
「作務衣や甚平の上着は、襦袢の上半身の形に似ている。だから、着物の下に着てしまおう。もちろん、作務衣や甚平として着てもいいので重宝」。
これを読んで楽になりましたね。
「どう着なきゃいけないのか。着物の下着は襦袢っていう話だけど・・・」
などと思って踏み切れないでいた私は、
これで「よし、やろう」という気になりました。
着物の下は作務衣や甚平です。
さらに寒いので、990円のユニクロのタイツもはきました。
それでも、多少は難儀しました。
一番は帯を結ぶことです。
貝の口っていうオーソドックスな結び方で、男は女性に比べればはるかに楽なのでしょうが、何度もやり直して汗だくになりましたね。
でもその甲斐あって、ご近所さんから「カッコイイですね」と言われるくらい、決まりましたよ!(お世辞にきまってますが)
ちなみに羽裏(羽織の裏地のことで、色々な図柄が描かれています)は、お気に入りの図柄の鷹です。
着物にはこういう楽しみもあるんです。
私たちは日本人です。その私たちが何かを表現しようとすれば、日本語という枠に拠らねばなりません。日本語という制約があるとも言えるでしょう。しかし、その枠、制約があるからこそ、表現できるわけです。文化というものはそういうものだと考えます。
そして言葉で表現する場合も、学び、努力、洗練が必要なように、諸々の日本文化を身に付けるのにも、学び、努力、洗練が必要です。
とは言いましてもあまり肩肘張らずに、着実に日本文化を身に付けていきたいと思っています。
再生日本21
執行役員 稻田雅彦
参考ホームページ「NHK美の壷/男の着物」
http://www.nhk.or.jp/tsubo/arc-20080829.html
しばらく見ていなかった「美の壺」を再び見ようという気になりました。ルールに縛られない、と聞くと励みになります。勿論、ルールが出来た経緯を知り守ることも意味がないわけではないのですが、やはり現在に合わせて簡素化するのもすべての文化が継承される過程では不可避なことと思います。バランスの問題は難しいですね。
これからの連載、楽しみにしています。
投稿情報: 山本晃司 | 2010年1 月20日 (水) 10:10
「ルールのかなりの部分を無視してよい」という話しは、チョット勇気をもらいました。
和室も床の間もある家に住みながら、一度も着物を着たことがないので、今度こそ踏み出してみます!
投稿情報: 横山嘉亮 | 2010年1 月20日 (水) 16:57
「着物を着る」ということを、私は今まで考えたことすらありませんでした。着物は結婚式などの「お祝い事の時に着る」というふうに、固定観念でとらえてしまっていたようです。
今はあらゆる生活の場面が西洋化されていて(こういうことも最近では“アメリカナイズ”などという言葉を使いますよね)、それが当然だと思い込んでいます。
だから、今の価値観というものはたかだか50年とか100年という期間で作られているものだということを、家庭教育、地域教育、学校教育の現場などで、教えていく必要があると思います。
それにはまず、私達大人が学び、動き出さねばいけませんね。
投稿情報: 佐々木 清行 | 2010年2 月 5日 (金) 00:28