こころみに、「志」という字を辞書でひいてみたら
「人生における、その人としての到達目標、理想」とある。
さらに、
文字をよくよく眺めてみると
「士」と「心」という字で成り立っている。
その字面から、士(サムライやおとこ)が持っている心や武士道なんかを、勝手に想像していたのだが、実は違っていて、
この志印は、進み行く足の形が変形したもので、之(いく)と同じ意味であって、士女の士(おとこ)ではない。
志は「心+之」で
心が目標をめざして進み行くこと
だそうだ。
そこからいくと、
志塾というのは、志の源である心を育てていく場であり、
様々な人が、様々な暮らしの中で、生きていきながら、
済世之志に燃える場であるともいえる。
と漢字の成り立ちから志塾を透かしてみました。
志塾4期生 横山嘉亮
参考文献 学研 新明解国語辞典、漢字源
志塾というのは、志の源である心を育てていく場であり、様々な人が、様々な暮らしの中で、生きていきながら、済世之志に燃える場
改めて志を調べて頂きありがとうございます。気分を新たにこれからの活動に取り組みたいと思います。
投稿情報: 山本晃司 | 2010年1 月21日 (木) 17:48
よこやん、投稿ありがとう。
風邪で休んでいたため、コメントが遅くなりました。
漢字や言葉の本来の意味を求めていくと、意外な発見があったりするものだね。
先日日経の「春秋」欄に、「書類選考」などの「選考」は本来は「銓衡」(意味は分銅と秤)と書くのだいう話が載っていました。敗戦後の国語審議会で、当用漢字にない漢字をエイヤッと似通った漢字に書きかえてしまったのだそうです。
現代風の思い込みを疑ってみて本来の姿を求めていくというのは、歴史において大切なことだと思いますね。
投稿情報: 稻田雅彦 | 2010年1 月29日 (金) 11:56
へー!
「選考」って、本来は「銓衡」の意味だったんですね。おもしろい!
このことで思い出したのが、自分が広報担当をしていたころ、当然の読み方だと思っていたものが、実はそうではないと知った時のことです。
例えば、稲田雅彦さんの「雅」は、常用漢字表では「みやび」という読み方はありません(これを“表にない”という意味で「表外訓」と言います)。あと、関晋作さんの「関」も「かかわる」という読み方は今までありませんでした(関については、昨年11月の『改定常用漢字表』により、「かかわる」という読み方も認められました)。
常用漢字表は、文部科学省の「文化審議会国語分科会」によって決められます。漢字の在り様、使い方は、国の文化の根幹に関わる部分だけに、ハードルが高く、それだけにかえっておもしろいとも言えます。
投稿情報: 佐々木 清行 | 2010年2 月 5日 (金) 01:01
へー!
「雅」が常用漢字表では「みやび」という読み方がないなんて知りませんでした。
知らないことってたくさんあるもんだね。
投稿情報: 稻田雅彦 | 2010年2 月 5日 (金) 10:22