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コメント

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稻田雅彦

服部さん、投稿ありがとうございます。

食うためのやむを得ない銀行勤務。お気持ち分かる気がします。
私もこの10年、オフショア金融やヘッジファンドの世界の中で(苦闘しながら)生きてきました。とりわけ近年、金融資本主義の進展で、地に足をつけてモノを生産するという人間本来の生活と副産物としてのマネーとの主客の逆転が著しくなってきているように感じます。
地に足をつけた生活を取り戻したい――その気持ちと現実との葛藤は続きますね。

佐々木 清行

 服部さんとお会いしたことはありませんが、作家をされているだけに惹きこまれるように読んでしまいました。
 とてもつづきを楽しみにしております。
 わたしは比較的“都会に近い田舎”に住んでおりますが、わたしたちの親の世代では、家庭の事情というものが進学を大きく左右したように思います。わたしは団塊の世代のジュニアなんですが、親たちの若い頃の話を聞いた時、その選択肢の狭さにびっくりした記憶があります。
 職業選択の自由があり、物質的な面で不自由をしたことがほとんどない我々の世代が、日本を背負って立つ場面に遭遇した時にどうなるものかと心配しております。
 しかし、まぁ私としては「一灯照隅 万灯照国」の思いでやるしかないと思っています。もちろん「志」は必須です。

服部光一

佐々木清行さま

拙稿へのコメントありがとうございます。
今後ともお付き合いいただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。

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