ぼくはいま30数年ぶりに帰省して、滋賀県甲賀市に住んでいる。幼年時代からといっても小学5年生くらいからだと記憶するが、社会科の授業(地理・歴史)が大好きな、田舎生まれ田舎育ちの少年だった。もしも家が裕福で生涯食うための心配をしなくてもよかったならば、おそらくお金やそろばん、さらには営業や簿記を学ぶ商業高校へ進むことはなかったし、性善説に立つ沈思黙考型の性格には不向きな銀行を就職先に選ぶこともなかった。 至極当然のように普通科進学コースを選び、どこかの大学の史学科を選んでいたはずだ。その頃にゼミ生として師事したかった高名な教授には、直木孝次郎さん(大阪市大)や井上光貞さん(東大)、また宮崎市貞さん(京大)や桑原武夫さん(京大)らがおられた。いまにしておもえば、お金に執着することなく、なぜ大好きなことに邁進しなかったのだろうと悔やまれてならない。さしずめ後悔先に立たずの見本である。大好きなことをやって細々ながらも食えたら大成功の人生なのだと達観するには、26年半ものずいぶん長くて遠い回り道をしたものだ。1970年4月に高卒で都銀に入行できたことにより、その後の26年半はお金の心配からは解放された。それじたいは嬉しいことだったが、しかし自分の信念やスタンスからはずいぶんかけ離れたサラリーマン人生になってしまった。そんなぼくの心の隙間を、いつも埋めてくれたのは書籍だった。独身寮への帰路いつも大阪梅田の旭屋書店や紀伊國屋書店に立ち寄っては時間をつぶしていた。お金に糸目をつけずに買いあさった、その頃に購入かつ通読した小学館・日本歴史全集や世界および日本文学全集が、いまも我が家の書庫に眠っている。もちろん金融経済や法律にまつわる有斐閣叢書とともに。営業はからっきし苦手、銀行内での忙しすぎる人間関係調整能力もいまひとつ。辞めたくてしかたなかったが、銀行を辞めたら食えないと当時の常務取締役大阪支店長に脅されて、毎日泣く泣く芦屋の独身寮から淀屋橋まで通勤していた。(つづく)
服部さん、投稿ありがとうございます。
食うためのやむを得ない銀行勤務。お気持ち分かる気がします。
私もこの10年、オフショア金融やヘッジファンドの世界の中で(苦闘しながら)生きてきました。とりわけ近年、金融資本主義の進展で、地に足をつけてモノを生産するという人間本来の生活と副産物としてのマネーとの主客の逆転が著しくなってきているように感じます。
地に足をつけた生活を取り戻したい――その気持ちと現実との葛藤は続きますね。
投稿情報: 稻田雅彦 | 2010年1 月29日 (金) 11:48
服部さんとお会いしたことはありませんが、作家をされているだけに惹きこまれるように読んでしまいました。
とてもつづきを楽しみにしております。
わたしは比較的“都会に近い田舎”に住んでおりますが、わたしたちの親の世代では、家庭の事情というものが進学を大きく左右したように思います。わたしは団塊の世代のジュニアなんですが、親たちの若い頃の話を聞いた時、その選択肢の狭さにびっくりした記憶があります。
職業選択の自由があり、物質的な面で不自由をしたことがほとんどない我々の世代が、日本を背負って立つ場面に遭遇した時にどうなるものかと心配しております。
しかし、まぁ私としては「一灯照隅 万灯照国」の思いでやるしかないと思っています。もちろん「志」は必須です。
投稿情報: 佐々木 清行 | 2010年2 月 5日 (金) 01:32
佐々木清行さま
拙稿へのコメントありがとうございます。
今後ともお付き合いいただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。
投稿情報: 服部光一 | 2010年2 月 8日 (月) 16:18