再生日本21
「龍馬エッセー(12)」
(8.02.2010 by Kouichi Hattori)
幕末史を語る際に避けて通れないのが、尊皇攘夷思想と尊王論であろう。幕末のヒーロー坂本龍馬は、はたして尊皇攘夷思想と尊王論を抱いていたのか否か。戦後民主主義社会の中で、どうやらタブーのように扱われてきたようである。戦後の倫理思想教育に一貫して流れていたのは民主主義であり、【みんしゅ‐しゅぎ【民主主義】(democracy)語源はギリシア語のdemokratiaで、demos(人民)とkratia(権力)とを結合したもの。権力は人民に由来し、権力を人民が行使するという考えとその政治形態。古代ギリシアの都市国家に行われたものを初めとし、近世に至って市民革命を起こした欧米諸国に勃興。基本的人権・自由権・平等権あるいは多数決原理・法治主義などがその主たる属性であり、また、その実現が要請される。山路愛山、社会主義管見「第一の要件は―を土台にした政府を作ることである」広辞苑第六版】、言論界は意識して避けてきたような印象すら受ける。
土佐勤王党に属していた龍馬が、主宰者武市半平太の使者として初めて長州を訪れたときに、強い影響を与えたのは松蔭門下生の一番弟子久坂玄瑞であった。親友の武市半平太と久坂玄瑞との交流から推測しても、龍馬が思想的影響を受けなかったと考えるのは無理があるだろう。一般的な龍馬ファンの龍馬評は、およそ以下のようなものであろうか。龍馬思想の潮流は、「日本をいまいちど洗濯いたしたく候」に代表されるが、盤石そのものともいえた徳川260年の施政下にあって、その揺るぎそうにない幕藩体制と身分制度を超越して、日本全体を視野に入れた近代的かつ開明的な思想と行動力をもっていた、ということではないかと思われる。欧米の侵略から日本を護るため、海軍力の重要性に気づき勝海舟に弟子入りし、薩長同盟締結にこぎつけ、大政奉還や船中八策を献じて、新日本の建設に邁進した。自らは政治への参与を拒絶し、世界との貿易に進路を定める。
なんとも爽やかな龍馬行動伝である。では、じっさいの龍馬の心を知るには、如何にすればよいのか。先日ご縁があって、ひとりの碩学とお会いすることができた。その碩学が仰せになられたことであるが、龍馬の実像や心の動きを知るためには「龍馬直筆の手紙を読むしかない」ということなのである。龍馬の手紙は『坂本龍馬全集』(光風社書店)に収められており、それを読めば「龍馬の思想的背景」を理解できるということであった。また、併せて読むことを薦められたのが、『ペルリ提督日本遠征記』(岩波文庫・全4巻)だった。折しも夏休み、盛夏のひとときを公立図書館での読書にあてるのもよいことである。時代の変遷とともに、龍馬伝も変わってゆく。近未来における龍馬伝が如何なる形態をとってゆくのかじつに興味深い。戦前の国粋主義、軍国主義思想が全否定されて60年以上が経過している。しかし幕末思想を知らないと明治維新を語れないのが真相らしい。
作家・コラムニスト 服部光一(はっとり・こういち)
Wikipedia 関連文献・原典引用
○尾佐竹猛解題『近世社会経済学説大系〈第14〉坂本龍馬・由利公正集』、誠文堂新光社、 1935年 ○平尾道雄監修、宮地佐一郎編・解説『坂本龍馬全集』光風社書店 限定版、1978年5月、坂本龍馬年譜・坂本龍馬関係書誌: p907 - 952 ○宮地佐一郎編・解説『坂本龍馬全集』光風社書店 増補改訂版、1980年5月 ○宮地佐一郎編・解説『坂本龍馬全集』光風社書店 増補3訂版、1982年11月 ○坂本龍馬年譜・坂本龍馬関係書誌: p987 - 1032 ○宮地佐一郎編・解説『坂本龍馬全集』光風社書店、ISBN 4875194005 増補4訂版、1988年5月 ○坂本龍馬年譜・坂本龍馬関係書誌: p1045 - 1090 ○岩崎英重、日本史籍協会編『坂本龍馬關係文書〈1・2〉』 ○〈日本史籍協会叢書.115・116〉東京大学出版会 ○日本史籍協会、1926年刊の複製、1967年、1988年12月~1989年1月 ○坂本龍馬著、日本史籍協会編『坂本龍馬関係文書〈1・2〉』、北泉社 ○日本史籍協会、1926年刊の複製、1996年9月 ○宮地佐一郎編・解説『龍馬の手紙 坂本龍馬全書簡集 付.関係文書・詠草』旺文社文庫1984年 ○宮地佐一郎編・解説『龍馬の手紙 坂本龍馬全書簡集・関係文書・詠草』、PHP研究所〈PHP文庫〉1995年8月、ISBN 4569567940 ○宮地佐一郎編・解説『龍馬の手紙 坂本龍馬全書簡集・関係文書・詠草』講談社〈講談社学術文庫〉2003年12月、ISBN 4061596284 ○京都国立博物館編『坂本龍馬関係資料』京都国立博物館1999年8月
【そんのう‐じょうい‐うんどう尊王攘夷運動・尊皇攘夷運動】幕末の政治運動。天皇の権威の絶対化と開国反対を主張し、勅許なしで西洋列強と条約を結んだ幕府と対立。神官の真木和泉(まき・いずみ)、長州の久坂玄瑞(くさか・げんずい)らが中心。一時、御所をおさえ政局の主導権を握るが、文久3年(1863)8月18日の政変、翌年の蛤御門(はまぐりごもん)の変で衰退。勤王攘夷運動。尊攘運動。広辞苑第六版】
【そんのう‐ろん尊王論・尊皇論】天皇の権威を強調する思想。江戸中期以降、主に水戸学や国学者・神道家により唱えられた。初めは身分秩序の頂点である天皇の権威を高めることで幕藩体制の安定をはかる意味があったが、幕末には幕政批判の思想的根拠として機能するようになった。広辞苑第六版】
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