② 江戸は当時「世界一の人口の大都市」
花のお江戸は当時、世界一の大都市だった。
8代将軍吉宗公の時代、西洋の暦でいえば18世紀半ばくらいに、江戸の人口は100万人を突破したと言われてる。ちなみに同じ時代のロンドンは70万人、パリ50万人、北京には70万人が住んでいた。
「極東の島国」どころか、世界に堂々たる大都会だったってわけだ。
ところで、その江戸には誰が住んでいたかっていうと、武士と町人がおおよそ半々の割合だ。
城下町で武士が元々多い上に、参勤交代で来る大名達は、広大な武家屋敷を構えていた。だから、江戸の土地の7割が武家地。寺社の土地が1割くらいあったから、残り2割の狭い土地で、50万人もの町人がひしめきあっていた。だから江戸の町人は、四畳半の長屋住まいが一般的だったというわけ。
トイレや井戸は共同。お隣さんとは板一枚。狭くてプライバシーもないところに大勢いると、人付き合いも煩わしくて、さぞいざこざがあっただろう、なんて思うだろう。
しかし、実際にはお互いが相手のことを思いやり、人情と節度をもって接していた。人付き合いってのが煩わしいからこそ、お互いが愉快に暮らせるようにするってのが、生活の知恵だ。
幕末から明治初期に江戸に来たある外国人は「江戸で二年住んだが、住民達が言い争ってるのを見たことがない」というほど。
今の東京では、長屋の代わりがアパート暮らしってところだろう。けれども近所付き合いどころか、お隣さんの顔さえ分からねえ、って人が多いんじゃないか。
人情ってのは、人付き合いが密だからこそ、磨かれるもんだと思わないかい?
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